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映画『ナタリー』感想 [★映画・ドラマ・テレビ]

●先日テレビの深夜放送で見た、フランスの映画。個人的に「好き♪」と思ったので、その感想をメモ。

主役が『アメリ』の主人公役だった、オドレイ・トトゥ。ジャンルは……ラブコメディー、かな? そんなに大笑いするほどコメディーでもなく、地味だけどちょっとだけ不思議なストーリーが、やわらかいタッチで淡々と進んでいきます。

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個人的に、こういう「描きすぎない」ドラマが好きなので、星五つ(^^)。★★★★★




(ネタばらし、改行)












●「描きすぎない」がどういうことかというと、台詞で状況説明をしたりしないということ。

いや、台詞どころか。実は話のわりと重要なポイントについて、最後まで「なぜ、その行動をとったの???」と思う箇所が残ります。その「なぜ」の説明は、一切ない。

これがハリウッド映画だったらどうなるか。

「私がこのように行動したのは、こうだったからなのよ」と、登場人物の台詞で説明(言い訳)が入る。もしくは説明的なシーンが挿入される。鑑賞者は「ああ、だからか」と納得はする。でも答えは制作側が用意した、たったの一通りだけ。与えられた答えを受け取るだけ。※個人の印象であり、事実とは異なります(笑)。


でもこの映画は、明確な答えをこちらに与えない(?)。余計な説明は省くのね。説明がなくても成立しているというか……むしろ説明がないから逆に目が離せなかったというか、想像の余地がとても大きくて面白かったというか。

説明がないから、登場人物の行動の理由が知りたくなるわけ。

「なんでこの人、こんな行動を……」「今どういう心境なんだろう……」「寂しさ? 衝動?」「ある種の勘が働いた?」「そうでもしないとやってられない状況?」「混乱してる?」「本音? 本能?」とかなんとか、余計なことにアレコレ思いを巡らしちゃう。気づくと、もう映画の世界にどっぷりはまっていた次第。説明がないからって話がわからなくなるわけでは全然ないので、巧妙に計算したうえでの省略かと。

【追記】 この「謎」について、原作者の見解、発見! 「いつも体の方が心より先に反応していく。無意識にキスをしたということは、相手の男性は自分にとっていい人だと、体で感じたのだと思う」(監督インタビューページより引用:兄弟で監督! 弟が原作者!?)


この感覚、実は現実世界(リアル)にすごく近いのではないかと。

「リアル」では、目の前の人の気持ちについて、当然解説なんか入りません(笑)。目の前の人の言動から、「いったい何を感じているのか」「なにゆえその行動に出たのか」想像して探るよりほかないですよね。

時に自分すら理由が理解できない行動を、とっさにとることだってあるよね?(^^;) 後付けで理由を考えてみたり、しません?

そんな、リアルの場面を理解するための作業を、映画の登場人物に対してしていたような気が(^^;)。


そういえば登場人物の一人が、わりと早くにこの世を去ります(;_;)。ハリウッド映画だと、その「事件」の場面まで見せちゃうイメージが強い。説明するためにね。(そうでない映画もあるかも、あったらゴメンナサイ)

でもこの映画は違う。病院で「何が起きたかわからない」ゆえに混乱している主人公からワープして、お葬式の参列者に主人公が挨拶している場面へ。それもちょっとファンタジックに。

でも多分、主人公にとってはまさに「信じられないけど気づいたらこんなことになっていた」状態だったことでしょう。その、フワフワした現実感のなさがよく伝わる、上手な情報の省き具合。台詞は必要最小限。台詞じゃない場面が物語を描いている率、高し! 「台詞じゃなくても伝わる何か」が、巧妙にたくさんちりばめられているような。

「描きすぎない」映画の、こんなところが個人的に大好きです♪ 


●それと、途中から出てくる人物の描き方が、また見事。

どこがどうで見事なのか説明できないんだけど、とにかく最初は「えっ」「奇妙な印象の人(少々薄気味悪くすらある ^^; )」「この人が重要な登場人物のはずはない(?)」と勝手に思い込みます。あのほら、重要人物ってたいてい、見た目が「それらしい」じゃない? それが「そうじゃない」からさ……。でも、その印象がまた重要で。多分、主人公も最初はこの人にそんな印象を持っていたのに違いない。

ところが、エピソードを水彩絵の具みたいにうっすらと重ねていくうちに、その人がどんどん良く見えてくるんです! 第一印象は良くなかったのに、知れば知るほど「この人、イイ! キラーーン Σ(゜∀゜)」って。完全に手のひらを返したかのように(笑)。逆に、序盤でカッコ良く見えた人の、終盤のどうでもよさというか人間の小ささよ……。


ああ、これは多分、「主人公からはこう見えていた」人物像、が描かれていたのね? 知らぬ間に。完全に主人公の目線で、映画を観ていたんだな……。「起こった出来事」ではなく「主人公の心情」を軸に場面が展開していたんだな? と、いま思いました。だから余計な情報を入れることもなく、主人公の心情が直に伝わってきたのかな。


とまあ、出だしに不幸はあったものの、ぼんやりした地味なラブストーリーかな? と思いきや。私は最後の「お相手」の台詞にノックダウンされました。「(相手の女性の)不幸は全部、自分が踏みつぶしてやる」……みたいなことを、内心でつぶやくんですね。うわ~、全人生の肯定~! 受容~! 幸せ感~(うるっ)。

これ、表立って相手に言っちゃってたら、全然良くないです(笑)。「お庭でかくれんぼ」しながら、女性のこれまでの人生に思いを馳せすべてを受け入れたうえで、そっと一人誓ったところに感動。胸に灯りが灯ったような心地がしました。これは良い映画だ、と(^^)。

で、「受容」の深さを感じてじんわりしたところで、そのまま映画は終わり!

あれ? かくれんぼの結末はどうなったの?(笑) これから二人、どうすんの? お仕事は? 上司、どうすんのさ? ……などと現実的な問題に答えを求めるのは野暮ってもんです。あの肯定的な決意があったら、何だって乗り越えるだろうよ……って気がします。


主人公がとても魅力的なオドレイさんだったから成立した話のような気もしないでもないけど。ともあれ、心情を描くのに長けていた映画だな、と思います。こういう映画、好きです(^^)。


●1個だけ気になった箇所、それは……。

DVDのパッケージでも主人公が着ている、ベージュにアシンメトリーの黒い模様が入ったセーター。主人公のお気に入りなのかなんなのか、わりと頻繁に(劇中時間で何日も)着ているシーンがあったのですが。

最初に見たときは確か、黒い模様が「向かって左」に多めに入っていた気が。それがそのあと、(別の日という設定だったとは思うけど)「向かって右」になるんです。で、そのまま右に黒模様……でおしまい。ちゃんと見ていなくて最初のシーンが鏡越しだった……とかだったらゴメンナサイだけど。

前後ろ関係なく着られるデザインのセーターだったのかな。日本のセーターだったら前後ろ逆で着たら明らかに「逆だよ」ってデザインがおかしくなる場合が多そうだけどね(笑)。それに日本の映画だったら「左右が違っている」ってミス(?)も許さないチェック体制で制作しそう(笑)。

けど、その辺はラテン文化の大らかさ、だったのかな。きっとそうよね、どうでもイイ細かい点だものね(^^;)。主眼は、二人の人物の心の過程をいかに描くか、だもの。

【追記】 ファッションについても、前述監督インタビューに記述あり! 「同じ服を何回も着回すような普通の女性の生活を反映させています」。あのセーターが印象的だったのも、意図的だったのね……。

エッフェル塔の夜景、キレイだったな~。シチュエーションが素敵すぎて「恋に落ちそう」と逃げ帰る男性を、いじらしくかわいらしく思いました☆ ちょっと笑っちゃいます( ´艸`)。


この映画、機会があったら個人的にもう一度見てもいいです☆


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