【振り返りユニコーン】ネタ元は『こち亀』!? の巻 [ ・ユニコーン関連]
●今回は、2019年9月5日(木)のテレビ番組「アメトーーク」を見て気づいたユニコーン関連の「重箱の隅つつき」話(笑)。解散前の若かりしユニコーンの取材記事が『こち亀』のパクリ オマージュだったかも!? という。
しばらく『こち亀』の話をするけど、着地はユニコーンですから(笑)。
『こち亀』とは、言わずと知れたマンガ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のこと。
小学生の時イトコのお兄ちゃんが持っているのを見たことがある。そういう意味ではドンピシャ世代なんだけど……『週刊少年ジャンプ』連載、読まなかったなぁ(^^;)。
作品とはそんな距離感だから、キャラクターを見れば「両さん」くらいはわかるし最近連載が終了したニュースも知ってるけど、他のエピソード・知識は皆無。
●さて。
同日の「アメトーーク」は、『こち亀』がテーマ。そこで『こち亀』ファンのタレントによって語られた逸話に、激しくデジャヴを覚えた。
(これから『こち亀』全200巻を読むから、ネタはバラしてほしくない! ……という方がいたら、以下はネタばらしですので読まないでくださいね☆)
(ちょっとだけ改行)
「実は『こち亀』には『ニセ最終回』の話がある」とな!?
Wikipediaによると連載開始17年後の1990年、
「長い間ご愛読ありがとうございました。両津勘吉巡査は派出所を去り、旅立ちました。13年間の長期にわたり読み続けてくださった読者の方々にお礼を申し上げます。また会う日までさようなら」(リンク先から引用)
……との見開きメッセージを掲載、連載終了感を醸し出した(?)んですと。(単行本では69巻収録とのことだったので、上記でリンクしてみました☆)
でも次のページから『新こちら葛飾区亀有公園前派出所』が、しれっと始まり、主人公が「連載終了だなんて言ってないよ?」「読者にお礼を言っただけ」みたいなセリフを言っているとのこと。
アメトーーク出演者いわく、作者先生が連載40年間(!)のあいだに飽きて、実験的な見せ方をして遊んで(?)いるような回がいくつかあったとかで。(確か)その一環として紹介されていた、この「ニセ連載終了」だったんだけど……
同じことをユニコーンが『月刊カドカワ』誌上でやってたわ!
本当の解散(^^;)をする2年も前に、「解散!?」つって(≧▽≦)。
ちなみにその『月カド』特集のタイミングは、名作と名高いアルバム『ヒゲとボイン』の発売より半年以上も前のことなんで、若きユニコーンさんたちも、さすがにまだ「解散」までは考えが至っていない時期だと思われ(笑)。
論より証拠、画像でお見せしましょう(*´艸`)。※肖像権とかなんとかあると思うので、残念ながら加工画像で失礼します。
まず表紙。ユニコーンの皆さんがそれぞれそっぽを向いて、あえて仲悪そうに(?)写っていますな。
↓
EBIくんの上に「解散か!? 栄光と苦悩の4年間を全告白/ユニコーンよ永遠に!」などと不穏な見出しが……。EBIくんと後ろの川西さん共々、ご着用のベストが懐かしい(当時のファッションですな)。
↓
ちょっと文字がつぶれちゃったけど、1991年3月の発行だと書いてあります。出版界の慣例で2月には書店に出てたんじゃないかと思うけど(月カドは違うっけ? 忘れた ^^; )。時期的には『ケダモノの嵐』で賞をもらって『ハヴァナイスデー』までリリースし終わったころ、ですね。
↓
巻頭の数コーナーが終わって一番目の特集、見開きがコレよ!? なんと寂しげな……閑散とした……!
↓
このあと、メンバーそれぞれのインタビューやら、これまでに出したアルバムの全曲解説やら、著名人による「解散を前提とした」哀惜(?)のメッセージやら著名漫画家によるユニコーンを登場人物にしたマンガやら、かなり力の入った濃厚な特集がたっぷりと67ページ! インタビューでは皆さん、惜しむようなコメントを寄せていたんだけど、ユーミンだけはユニコーンの「変化球」「(笑)」みたいなご発言。ここで「あっ、そうなんか!」と気づかされました(^^;)。
で、最後のページが……。この「解散か!?」って内容、予告までしてたんですね!?(それは知らない)
↓
ちょっとその時代の制作物スケジュール(媒体は全然違うけど ^^; )に照らしてアレコレ考えてみると……。
1991年3月発行の雑誌(月カド)は2月には市場に出ていると仮定して。前の号(1月)に既に予告が出ていた、となると……どんなに遅くとも前年(1990年)の12月には企画は固まっていたわけ。
2月に市場に出すためには、1月下旬までには印刷が終わっており……『月カド』が分厚くて文字が多い(校正に時間が必要な)媒体であることを考えると、制作期間(印刷所と出版社とのやりとり)だけでも1か月半~2か月はほしいよね? となると原稿の〆切はだいたい11月初旬くらい?(理想w) タイトなスケジュールで無茶をしている媒体だと、こんなに時間を取らない場合もあるので事実は不明ながら(^^;)。
となると、執筆にはできれば最低でも1か月は見ておきたいから(大物に依頼するとなると、もう少し余裕を見て依頼しないと「忙しい」って断られかねないし)、10月にはインタビューや執筆者への依頼がおおよそ済んでいてほしく(「ほしく……」ってアンタ誰?ww)、だとすると
企画決定は遅くとも9月頃には終わっていたかも……?(憶測) もう少し早い可能性も大いにある。
一方、『こち亀』の「ニセ最終回」の発表は1990年17号だったとのこと(Wikipedia)。ジャンプの「17号」がだいたい何月頃の発行になるのかググったところ、年によるかもだけど3月下旬くらい?
ということは、3月下旬に目にした『こち亀』を「面白い」と思った誰かが、同年9月までには詳細までよく練り上げた「巻頭特集企画」に作った計算になります。※媒体の制作スケジュールは、会社によってホントにいろいろ違うので、あくまでもひとつの目安でしかありませんけど☆
『月カド』発信なのかユニコーン持ち込み企画だったのか知らないけど……ユニコーンの個性ありきで立ち上がった企画のようにも見えるけど……『月カド』とCSA(現SMA)とのその辺の売り出し方と企画とのすり合わせも、時間がかかりそうよね?(笑)
1990年3月下旬に『こち亀』を見て、1991年3月発売の号でパロディーって、遅くね? ……と一般的には思われるかもだけど。
少なくとも『月カド』内では何回も会議を重ねたであろうと思われる内容&ボリュームだし、当時の印刷物制作にかけるスケジュールやら執筆者の確保やら、かなり念の入った重厚な特集企画だし……。
それを思うと、結構「インスピレーションを得てからすぐに企画に入ったんですね?」と印刷物制作経験者は思います。
……それにしてもユニコーン、1991年の媒体で「解散は大ウソです」って言いつつ、でも2年後にはホントに一旦解散しちゃうというね(苦笑)。
●ともあれ当時、たまたまこの号を買っていただけのワタクシ、とくにユニコーンファンでもなくて曲がサッパリわからないにもかかわらず術中にハマり、このバンドに何があったのか!? と、ものすごく読んじゃいました。
雑誌の企画だから編集者という共犯者(笑)がいるとはいえ、またもやなんて奇抜な話題作りをするバンドなんだろう! と鮮烈に印象に残り、面白かったんで28年後の今でも冊子がとってあるという……(*´艸`)。
『月カド』目撃当時から奇抜だなぁ……とは思っていたんだけど。
まさか、この「ニセ終了」の手法が『こち亀』由来だったとはねえ! 証拠は何にもないけど、もう断言しちゃう(^^;)。
とりあえず当時『ジャンプ』を読んでいた人たちの間では、『こち亀』の「ニセ連載終了」は大きな騒ぎだったことでしょう。だってアメトーークを見ていたら、当時少年だったタレントさんたちも大盛り上がりしていたもん。
そしてユニコーンのことだから、「あれを誌上でやってみよう」といったん誰かが発案したら最後、トントン拍子でノリ良く話が進んだのであろうことも、想像に難くないデスネ☆
企画を言い出したのが誰であれ、話に乗ったのがユニコーンらしい。ホントに「面白がる」バンドだなぁ……と、つくづく(*´艸`)。
ウダウダ記事を書いていたら、ユニコーンの最新情報が流れてきました♪ 別記事にメモしておこう♪
しばらく『こち亀』の話をするけど、着地はユニコーンですから(笑)。
『こち亀』とは、言わずと知れたマンガ『こちら葛飾区亀有公園前派出所』のこと。
こちら葛飾区亀有公園前派出所【期間限定無料】 69 (ジャンプコミックスDIGITAL)
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 1991/04/10
- メディア: Kindle版
小学生の時イトコのお兄ちゃんが持っているのを見たことがある。そういう意味ではドンピシャ世代なんだけど……『週刊少年ジャンプ』連載、読まなかったなぁ(^^;)。
作品とはそんな距離感だから、キャラクターを見れば「両さん」くらいはわかるし最近連載が終了したニュースも知ってるけど、他のエピソード・知識は皆無。
●さて。
同日の「アメトーーク」は、『こち亀』がテーマ。そこで『こち亀』ファンのタレントによって語られた逸話に、激しくデジャヴを覚えた。
(これから『こち亀』全200巻を読むから、ネタはバラしてほしくない! ……という方がいたら、以下はネタばらしですので読まないでくださいね☆)
(ちょっとだけ改行)
「実は『こち亀』には『ニセ最終回』の話がある」とな!?
Wikipediaによると連載開始17年後の1990年、
「長い間ご愛読ありがとうございました。両津勘吉巡査は派出所を去り、旅立ちました。13年間の長期にわたり読み続けてくださった読者の方々にお礼を申し上げます。また会う日までさようなら」(リンク先から引用)
……との見開きメッセージを掲載、連載終了感を醸し出した(?)んですと。(単行本では69巻収録とのことだったので、上記でリンクしてみました☆)
でも次のページから『新こちら葛飾区亀有公園前派出所』が、しれっと始まり、主人公が「連載終了だなんて言ってないよ?」「読者にお礼を言っただけ」みたいなセリフを言っているとのこと。
アメトーーク出演者いわく、作者先生が連載40年間(!)のあいだに飽きて、実験的な見せ方をして遊んで(?)いるような回がいくつかあったとかで。(確か)その一環として紹介されていた、この「ニセ連載終了」だったんだけど……
同じことをユニコーンが『月刊カドカワ』誌上でやってたわ!
本当の解散(^^;)をする2年も前に、「解散!?」つって(≧▽≦)。
ちなみにその『月カド』特集のタイミングは、名作と名高いアルバム『ヒゲとボイン』の発売より半年以上も前のことなんで、若きユニコーンさんたちも、さすがにまだ「解散」までは考えが至っていない時期だと思われ(笑)。
論より証拠、画像でお見せしましょう(*´艸`)。※肖像権とかなんとかあると思うので、残念ながら加工画像で失礼します。
まず表紙。ユニコーンの皆さんがそれぞれそっぽを向いて、あえて仲悪そうに(?)写っていますな。
↓
EBIくんの上に「解散か!? 栄光と苦悩の4年間を全告白/ユニコーンよ永遠に!」などと不穏な見出しが……。EBIくんと後ろの川西さん共々、ご着用のベストが懐かしい(当時のファッションですな)。
↓
ちょっと文字がつぶれちゃったけど、1991年3月の発行だと書いてあります。出版界の慣例で2月には書店に出てたんじゃないかと思うけど(月カドは違うっけ? 忘れた ^^; )。時期的には『ケダモノの嵐』で賞をもらって『ハヴァナイスデー』までリリースし終わったころ、ですね。
↓
巻頭の数コーナーが終わって一番目の特集、見開きがコレよ!? なんと寂しげな……閑散とした……!
↓
このあと、メンバーそれぞれのインタビューやら、これまでに出したアルバムの全曲解説やら、著名人による「解散を前提とした」哀惜(?)のメッセージやら著名漫画家によるユニコーンを登場人物にしたマンガやら、かなり力の入った濃厚な特集がたっぷりと67ページ! インタビューでは皆さん、惜しむようなコメントを寄せていたんだけど、ユーミンだけはユニコーンの「変化球」「(笑)」みたいなご発言。ここで「あっ、そうなんか!」と気づかされました(^^;)。
で、最後のページが……。この「解散か!?」って内容、予告までしてたんですね!?(それは知らない)
↓
ちょっとその時代の制作物スケジュール(媒体は全然違うけど ^^; )に照らしてアレコレ考えてみると……。
1991年3月発行の雑誌(月カド)は2月には市場に出ていると仮定して。前の号(1月)に既に予告が出ていた、となると……どんなに遅くとも前年(1990年)の12月には企画は固まっていたわけ。
2月に市場に出すためには、1月下旬までには印刷が終わっており……『月カド』が分厚くて文字が多い(校正に時間が必要な)媒体であることを考えると、制作期間(印刷所と出版社とのやりとり)だけでも1か月半~2か月はほしいよね? となると原稿の〆切はだいたい11月初旬くらい?(理想w) タイトなスケジュールで無茶をしている媒体だと、こんなに時間を取らない場合もあるので事実は不明ながら(^^;)。
となると、執筆にはできれば最低でも1か月は見ておきたいから(大物に依頼するとなると、もう少し余裕を見て依頼しないと「忙しい」って断られかねないし)、10月にはインタビューや執筆者への依頼がおおよそ済んでいてほしく(「ほしく……」ってアンタ誰?ww)、だとすると
企画決定は遅くとも9月頃には終わっていたかも……?(憶測) もう少し早い可能性も大いにある。
一方、『こち亀』の「ニセ最終回」の発表は1990年17号だったとのこと(Wikipedia)。ジャンプの「17号」がだいたい何月頃の発行になるのかググったところ、年によるかもだけど3月下旬くらい?
ということは、3月下旬に目にした『こち亀』を「面白い」と思った誰かが、同年9月までには詳細までよく練り上げた「巻頭特集企画」に作った計算になります。※媒体の制作スケジュールは、会社によってホントにいろいろ違うので、あくまでもひとつの目安でしかありませんけど☆
『月カド』発信なのかユニコーン持ち込み企画だったのか知らないけど……ユニコーンの個性ありきで立ち上がった企画のようにも見えるけど……『月カド』とCSA(現SMA)とのその辺の売り出し方と企画とのすり合わせも、時間がかかりそうよね?(笑)
1990年3月下旬に『こち亀』を見て、1991年3月発売の号でパロディーって、遅くね? ……と一般的には思われるかもだけど。
少なくとも『月カド』内では何回も会議を重ねたであろうと思われる内容&ボリュームだし、当時の印刷物制作にかけるスケジュールやら執筆者の確保やら、かなり念の入った重厚な特集企画だし……。
それを思うと、結構「インスピレーションを得てからすぐに企画に入ったんですね?」と印刷物制作経験者は思います。
……それにしてもユニコーン、1991年の媒体で「解散は大ウソです」って言いつつ、でも2年後にはホントに一旦解散しちゃうというね(苦笑)。
●ともあれ当時、たまたまこの号を買っていただけのワタクシ、とくにユニコーンファンでもなくて曲がサッパリわからないにもかかわらず術中にハマり、このバンドに何があったのか!? と、ものすごく読んじゃいました。
雑誌の企画だから編集者という共犯者(笑)がいるとはいえ、またもやなんて奇抜な話題作りをするバンドなんだろう! と鮮烈に印象に残り、面白かったんで28年後の今でも冊子がとってあるという……(*´艸`)。
『月カド』目撃当時から奇抜だなぁ……とは思っていたんだけど。
まさか、この「ニセ終了」の手法が『こち亀』由来だったとはねえ! 証拠は何にもないけど、もう断言しちゃう(^^;)。
とりあえず当時『ジャンプ』を読んでいた人たちの間では、『こち亀』の「ニセ連載終了」は大きな騒ぎだったことでしょう。だってアメトーークを見ていたら、当時少年だったタレントさんたちも大盛り上がりしていたもん。
そしてユニコーンのことだから、「あれを誌上でやってみよう」といったん誰かが発案したら最後、トントン拍子でノリ良く話が進んだのであろうことも、想像に難くないデスネ☆
企画を言い出したのが誰であれ、話に乗ったのがユニコーンらしい。ホントに「面白がる」バンドだなぁ……と、つくづく(*´艸`)。
ウダウダ記事を書いていたら、ユニコーンの最新情報が流れてきました♪ 別記事にメモしておこう♪
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