民生さんの予言!? [ ・ユニコーン関連]
●今さらながら「裸の太陽」の歌詞について、考えすぎの深読みアワーを(笑)。
なんだけど、その前に。民生さんが1995年1月15日にシングル「息子/BEEF」を出した二日後、 阪神・淡路大震災が起こった。 たまたま「BEEF」の歌詞に「神戸」が入っていた。 それゆえ「BEEF」はひそかに震災を予言していた!? なんて説を、どこかで目にした。 巷の噂の類い、ね。
さて、久し振りに『Z(初回生産限定盤)(DVD付)』の付属DVDを見た。ド頭が「裸の太陽」。
よく聴くと民生さん作の歌詞がさぁ……。
海がうねっていたり、何となくゆれていたり、何かが起きようとしていたり……!?
つい、東日本大震災&福島第一原発事故を連想してしまった。
同曲は昨年6月発売なので、もちろん今年起きたモロモロのことを歌っているわけではない。
作品情報を網羅していないワタクシには、曲を作ってからCM依頼が来たのか、
CM曲依頼が来たから曲を作ったのか、わかりかねるけど……。
スポーツドリンクのCMソングだったことから、多分スポーツ(それも屋外)に
挑むような雰囲気の歌詞になったんだろうと推測できる。
本来は多分、スポーツで闘いを挑む人への共感を描いた応援歌、だと思うんだけど……。
スポーツと言えば、ユニコーン界(?)では近年サーフィンがブーム(?)だから
そのイメージで海が出てきただけだろうし、
サーフィンと言えば夏のイメージが強いから、かげろうで景色が揺れているんだろうし、
スポーツをしていれば常に「結果」という何かが起きるものであるし……。
……という理由での言葉の選択であろうことは、もちろんわかっている。
けど、単語の一部だけを拾うと「予言だ!?」なんて言えそうなくらい、
偶然にもモチーフが重なる歌になっていたのであります。
●さらにこじつけをするならば。
同曲、いつもの民生作品同様、歌詞のモチーフについてハッキリと断言しきっていない。
このため、震災と原発事故の今後を歌ったうたでは!? と
勝手な解釈ができるほど懐が深い歌になっている。
以下、赤っぽい字が「へなちょこ」の勝手な歌の解釈、ね(^^;)。
えらく重たくなってしまったけれど、震災&事故後の今、ワタシにはこんな風にも聞こえてしまう。
-------------------------------------
確かめよう、原子力村がどんな安全神話で原発を増やし続けてきたのか。
見届けよう、人類が原子力を扱うとどういうことになるのか。
-------------------------------------
でも「裸の太陽」は、最終的に「Let It Be」のような応援ソングだと思う。
「何か聞こえる」のは、「Let It Be」で言うところの「賢い言葉」みたいなもんじゃないかと。
-------------------------------------
原子力とのつき合い方が、今後の我々の相手である、と。 ←ここが「僕ら」と複数になっていたことがすごい! 「現在の日本の社会全体が向き合うべき問題である」との解釈が可能になるから!
それについては今後いろんな議論が出てくるはず。
その中から何か「賢い言葉」が、きっと聞こえてくるだろう、と。
「僕ら」、つまり自分も含め我々みんなで挑もう。
逃げないで、耳を澄ませて今後を良くするヒントを探ろう、
何が聞こえてくるか、みんなで確かめよう…… ←ここが「何が」になっていることもすごい! 漠然と「何か」が聞こえているだけで終わっていない。曲の一番盛り上がる箇所で、「何が聞こえる?」とコチラに問いかけて確認する形になった……とも解釈できる。
-------------------------------------
すみません、勝手に重たいこじつけを付加してしまって(^^;)。
けどね、ただ重たいままでは終わらせない救いが、二文字入っている。
最後の、何が待っているの「かな」、この1箇所が希望を感じさせる。
「かな」一つで、歌全体が少し楽観的な問いかけになる。
待っているのは決して悲観的なものばかりではない、良いことあるかもよ……
という期待のニュアンスを感じさせるのに、最後の「かな」が効いてくる。
この二文字で、全体の緊張感がとけ、気持ちの余裕が見えてくる気がする。
結果的に「前向きな挑み」の気持ちを歌った歌だ、という気がしてくる。
……なんと解釈の余地のある歌だろう!
と、勝手に感動してしまった。
歌詞で物事を断言しきらないことで、聞き手はここまで妄想(笑)を広げることができる、と。
素晴らしいと思う。
あ、タイトルが「裸の太陽」!?
太陽のエネルギーを電力にせよ、と!?
↑完全に当方のこじつけ。でも偶然とはいえタイトルに、原子力に代わるエネルギー源候補の「太陽」が入っているって、できすぎ……。
●民生さんは作詞において、一つの言葉の言い回しを少しずつ変えて
言葉遊びのようなことをしていることが多い。
おかげで歌詞の細かいところが覚えにくい。ご本尊も時々戸惑われているような(笑)。
その言葉遊び的なもので「何か」「何が」「僕」「僕ら」「待っているのか」「待っているのかな」
と変えていった結果、最初漠然としていた対象を明確にする姿勢になっていったり、
自分一人かと思っていたら仲間と一緒に挑むことになっていったり、
不安&緊張感が期待や希望に変わっていったりする。
そこまで考えているのだとしたら、奥田民生という人は希有な才能を持つ作詞家だと思う!
今さらだし、ワタクシのようなものが申し上げるまでもなく、ですが(^^;)。
※上記では歌詞の引用を避けるため、少々違う言葉で歌詞の内容を表しました。正しい歌詞は、以下に。
・裸の太陽 ユニコーン 歌詞情報 - goo 音楽
なんだけど、その前に。民生さんが1995年1月15日にシングル「息子/BEEF」を出した二日後、 阪神・淡路大震災が起こった。 たまたま「BEEF」の歌詞に「神戸」が入っていた。 それゆえ「BEEF」はひそかに震災を予言していた!? なんて説を、どこかで目にした。 巷の噂の類い、ね。
さて、久し振りに『Z(初回生産限定盤)(DVD付)』の付属DVDを見た。ド頭が「裸の太陽」。
よく聴くと民生さん作の歌詞がさぁ……。
海がうねっていたり、何となくゆれていたり、何かが起きようとしていたり……!?
つい、東日本大震災&福島第一原発事故を連想してしまった。
同曲は昨年6月発売なので、もちろん今年起きたモロモロのことを歌っているわけではない。
作品情報を網羅していないワタクシには、曲を作ってからCM依頼が来たのか、
CM曲依頼が来たから曲を作ったのか、わかりかねるけど……。
スポーツドリンクのCMソングだったことから、多分スポーツ(それも屋外)に
挑むような雰囲気の歌詞になったんだろうと推測できる。
本来は多分、スポーツで闘いを挑む人への共感を描いた応援歌、だと思うんだけど……。
スポーツと言えば、ユニコーン界(?)では近年サーフィンがブーム(?)だから
そのイメージで海が出てきただけだろうし、
サーフィンと言えば夏のイメージが強いから、かげろうで景色が揺れているんだろうし、
スポーツをしていれば常に「結果」という何かが起きるものであるし……。
……という理由での言葉の選択であろうことは、もちろんわかっている。
けど、単語の一部だけを拾うと「予言だ!?」なんて言えそうなくらい、
偶然にもモチーフが重なる歌になっていたのであります。
●さらにこじつけをするならば。
同曲、いつもの民生作品同様、歌詞のモチーフについてハッキリと断言しきっていない。
このため、震災と原発事故の今後を歌ったうたでは!? と
勝手な解釈ができるほど懐が深い歌になっている。
以下、赤っぽい字が「へなちょこ」の勝手な歌の解釈、ね(^^;)。
えらく重たくなってしまったけれど、震災&事故後の今、ワタシにはこんな風にも聞こえてしまう。
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確かめよう、原子力村がどんな安全神話で原発を増やし続けてきたのか。
見届けよう、人類が原子力を扱うとどういうことになるのか。
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でも「裸の太陽」は、最終的に「Let It Be」のような応援ソングだと思う。
「何か聞こえる」のは、「Let It Be」で言うところの「賢い言葉」みたいなもんじゃないかと。
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原子力とのつき合い方が、今後の我々の相手である、と。 ←ここが「僕ら」と複数になっていたことがすごい! 「現在の日本の社会全体が向き合うべき問題である」との解釈が可能になるから!
それについては今後いろんな議論が出てくるはず。
その中から何か「賢い言葉」が、きっと聞こえてくるだろう、と。
「僕ら」、つまり自分も含め我々みんなで挑もう。
逃げないで、耳を澄ませて今後を良くするヒントを探ろう、
何が聞こえてくるか、みんなで確かめよう…… ←ここが「何が」になっていることもすごい! 漠然と「何か」が聞こえているだけで終わっていない。曲の一番盛り上がる箇所で、「何が聞こえる?」とコチラに問いかけて確認する形になった……とも解釈できる。
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すみません、勝手に重たいこじつけを付加してしまって(^^;)。
けどね、ただ重たいままでは終わらせない救いが、二文字入っている。
最後の、何が待っているの「かな」、この1箇所が希望を感じさせる。
「かな」一つで、歌全体が少し楽観的な問いかけになる。
待っているのは決して悲観的なものばかりではない、良いことあるかもよ……
という期待のニュアンスを感じさせるのに、最後の「かな」が効いてくる。
この二文字で、全体の緊張感がとけ、気持ちの余裕が見えてくる気がする。
結果的に「前向きな挑み」の気持ちを歌った歌だ、という気がしてくる。
……なんと解釈の余地のある歌だろう!
と、勝手に感動してしまった。
歌詞で物事を断言しきらないことで、聞き手はここまで妄想(笑)を広げることができる、と。
素晴らしいと思う。
あ、タイトルが「裸の太陽」!?
太陽のエネルギーを電力にせよ、と!?
↑完全に当方のこじつけ。でも偶然とはいえタイトルに、原子力に代わるエネルギー源候補の「太陽」が入っているって、できすぎ……。
●民生さんは作詞において、一つの言葉の言い回しを少しずつ変えて
言葉遊びのようなことをしていることが多い。
おかげで歌詞の細かいところが覚えにくい。ご本尊も時々戸惑われているような(笑)。
その言葉遊び的なもので「何か」「何が」「僕」「僕ら」「待っているのか」「待っているのかな」
と変えていった結果、最初漠然としていた対象を明確にする姿勢になっていったり、
自分一人かと思っていたら仲間と一緒に挑むことになっていったり、
不安&緊張感が期待や希望に変わっていったりする。
そこまで考えているのだとしたら、奥田民生という人は希有な才能を持つ作詞家だと思う!
今さらだし、ワタクシのようなものが申し上げるまでもなく、ですが(^^;)。
※上記では歌詞の引用を避けるため、少々違う言葉で歌詞の内容を表しました。正しい歌詞は、以下に。
・裸の太陽 ユニコーン 歌詞情報 - goo 音楽
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